HIKKOSUHERASU

国際同居からのお引越し〰

物は片付けても、残したいモノ

とある本との出会い

 

この2,3日、大量に本を購入しています。
いつもならこの時期は日本に帰国して、古本屋巡りして子どもの絵本を買いあさるのですが、今年はそうもいかず。
シンガポールにいる方から絵本を譲り受けられないか調べたら、運よく(絵本はすぐにお譲り先が決まる!)計40冊ほど手に入ることになりました。先輩ママ様、本当にありがたい。

早速いただいてきた第一弾の「かいけつゾロリシリーズ」に長男は夢中です。文章を読んでいる、というよりは、絵を読み込んでいる感じだけれど笑。

 

  

私の方も、Kindle Unlimited(月額980円)に加入していて、読む月読まない月様々ですが、今月は結構読むほう。昨晩見つけた本がよくて。

喜多川泰 著 「運転者 未来を変える過去からの使者」

 

運転者 未来を変える過去からの使者

運転者 未来を変える過去からの使者

  • 作者:喜多川泰
  • 発売日: 2019/04/02
  • メディア: Kindle版
 

 

「人生を終えるときに、少しでもたくさんの恩恵をこの世に残す。」

…というようなメッセージ。

子どもの昼寝中に2時間もかからず読めたので、ぜひ読んでみてほしいのですが。

私はこの著者の本を読むのが初めてだったけど、他の本もどうやらこういう系統なので読んでみたいなーと思いました。

すごく共感できるメッセージ。

 

人生が終わる恐怖に対して、どう立ち向かうか

 

LINEで「朝日中高生新聞ダイジェスト」というのを購読していて、時々目を通しているのですが、
その中の「ヒャダ兄さんがノリノリで相談にノリますよ?」というコーナー。

日本を離れて久しい私はヒャダ兄さんが何者かもよくわかってないけれど(ヒャダインさんという音楽クリエーターらしいですね。)、時々興味を惹かれるトピックの時に読んでいます。

その中で、特に印象に残っていた記事。探したら見つかった。
(探し当てて1年以上も前の記事だったことにびっくり!)

 

「あっという間に人生が終わる恐怖」2019年2月11日

https://news.line.me/issue/oa-asahikids/40037513a8cf

 

死ぬのが怖い。私も。死んだらどうなるか怖くて、考えるの放棄している感もある。

そんな思いをずっと抱えているから、そういう 中高生の声に他の大人はどうやって答えるのかしら?答えを持っているのかしら?私の悩みも晴らしてくれないかしら?と、思わずそのお悩みに対する回答を読みすすめました。

回答の最後の方のほんの短いメッセージだったんだけど、なんだか、救われた気分になって、それからずっと心のどこかで意識しています。

 

「人生で世の中に何か刻むことができたら、歴史に何かを刻むことができたら、不安はなくなると思う。歴史に刻むというと大仰だけど、歴史的人物になれ、てことじゃない。

誰かの心に、誰かのために何かをのこすことができたら、安心して未来を任せられるよ。」

 

自分が生きていた証が残っているということ、誰かに覚えてもらえているということ。

本当に、それで安心できるな、とすーっと腑に落ちたというか。

自分ひとりの世界に行くことにフォーカスしていたからすごく恐怖を感じていたんだけども、残される人や世界の方に目を向けたらびっくりするほど穏やかな気持ちになった。

 

自分はなにをのこせるか?

 

子どもを産んで育てることができていること。それが私の人生で一番良かったと思うこと。わかりやすく私が生きていた証です。

でも子孫繁栄とかだけじゃなくて、他にも、例えば関わった人に何かプラスの影響を与えたり、少しでも幸せな気持ちになってもらったり。それだけでいいと思う。

 

先日祖母が亡くなる前にも、このことを思い出して、「おばあちゃんに教えてもらったこと、ちゃんと覚えてるからね」と送り出すことができた。
本当に、大正生まれ(明治生まれかと思ってたけど調べたら大正だった!)の祖母はきちんとしていて、厳しさとやさしさと兼ね備えた話をしてくれて。大人になってからの会話で、何て上品な物の伝え方をする人だったんだ、と気づいて、びっくりしました。

私は人にそう思ってもらえるような生き方をしているだろうか?恥ずかしながら…否。
でも少しでも人に見せて恥ずかしくない姿の割合を多くしたい。

 

「運転者」の本を読んで、ヒャダ兄さんの記事をまた思い出し、
少しでも世界をいい方向にもってけるように、周りの人を幸せにできるように、行動したいと思いました。

 

我が家の5歳児を夢中にしている「かいけつゾロリ」の作者の原ゆたか先生もまた、ゾロリシリーズを60冊以上書かれていて(おもしろくて私も子どもに負けじと読んでいるのですが)、これだけ作品を生み出せるパワーがすごい。

間違いなく多くを残してらっしゃる。

 

私も、小さいことだけどリサイクルとか。
夫へのマッサージとか。
ワードの勉強をして、次の人が編集しやすいように文書を書く、ってのも私にとってはその行動の一つとしてカウントできる。

 

ともかく、何か、人様のお役に立てることをしよう。

シンガポールで眼科に行った話

眼科に行った

こどもを連れて、眼科に行ってきました。

ちょっと瞬きが多いな、と感じていた期間があって、でも引っ越しとかもあったので「チックっていうやつかも?」と思いながら、眼科で見てもらった方がいいかな、ということになりました。

どんどんブログの趣旨とずれていっているけれど
新しい学びがあったのと、いろいろ思うこともあり残しておくことにします。

 

シンガポールの病院システム

シンガポールで病院に行く時に、いつもちょっと面倒くさいなーと思うことなのですが、(日本も同じかもしれないけど、私はあまりそう面倒くさいことをした記憶がない。田舎だからか?)、それは病院へ行くシステム。

  • 普通の風邪とか、ちょっと気になること: Family Doctor、GP(General Practitioner)←これうろ覚えだけど調べたらそれっぽい英訳でたのでこのはず という、かかりつけ医に行く
  • 歯科、眼科、その他ちょっとFamily Doctorでは専門的な対応は見込めないかも?という場合:polyclinicで紹介状を書いてもらってから、国立病院へ行く (と安くなる)/直接専門医にかかる(早いが高い、はず)

このPolyclinicで紹介状を書いてもらってから、というのが、医療従事者のかた本当にごめんなさい、時間の無駄のように思えて思えて… でも仕方ないので、今回はこの方法で。

それで、Polyclinicで診てもらい、紹介状を書いてもらい、子どもの病院KKHospitalへ行くことになったのですが、次に診てもらえるのが3か月後、とかで、丁度その3か月後はコロナ騒ぎの真っ最中で、その時は目をあまりしばしばさせてなかったから延期もありかなと思いさらに2か月ほど延期させてもらった、という感じだったのかな。

 

KKHにて

思いの外時間がかかった。それだけ丁寧に検査しなければならなかった、ということなんだけど。

  

     0.(2020年6月現在、Covid-19対策で、病院に入る前にIC見せての体温チェックがあ
         ります)

  1. 予約時間30分ぐらい前に着(これはたまたま)
  2. 番号札とる
  3. 受付で名前の確認など
  4. 普通の視力チェック (目を片方ずつふさぐ)
  5. 高度な視力チェック① (眼鏡みたいなのをかけて、いろいろとレンズを入れ替える)
  6. 先生の診察
  7. 目薬を入れて、30分ほど待つ (これで小さい文字が1,2日見えにくくなるらしい)
  8. 高度な視力チェック②
  9. 2-30分待ってから、先生の診察

 

ちなみに、こちらの視力検査は、日本のCの90度回転、180度回転、270度回転みたいの(ランドルト環)ではなく、アルファベットを使用します。アルファベットの方が、(26文字全部使用ではなく、はっきり見分けられる何文字か使用なんですが)、その方がより正確に視力を測れる(精度があがる)らしいです。

うちのこどもはアルファベットは読める歳だから問題なかったけど、そうでない年齢用に、手元にもアルファベットの紙をもらい、見えたのと同じものを指す、ということもしてくれているようでした。

 

f:id:moyashisan:20200621063135p:plain

ランドルト環

視力レポートと、まつわる単語

で、先生の診察結果、を書こうと思っていて、ここがいろいろ思うところあったんだけど、ちょっとこれはまたの機会かな。

とにかく、私に眼科関係の英語の知識がなかったので(日本語でもそうないんだけど)、焦って待ち時間にいろいろ単語を調べたのをシェアします。インターネットでかき集めた情報と私がてんで素人なので、いろいろと間違いがあるかもしれませんがもし参考になされる場合はその点ご留意ください。

 

  • Myopia 近視
  • Pseudo Myopia/False myopia 仮性近視
  • Axial myopia 軸性近視
  • Hyperopia 遠視
  • Astigmabism 乱視
  • Amblyopia/lazy eye 弱視

 

視力の検査結果に書いてあった項目

  • SPH(sphere) 度数 (-がついていれば近視より、+がついていれば遠視より、Planoは度数0)
  • CYL(cylinder) 乱視度数(±1.25までは軽度、±2.00までは中度、それ以上は強度)
  • Axis 円柱軸(どの方向に乱視の度数を合わせればよいか、0-180°で表される)
  • VA(Visual acuity) 視力(日本は0.5とか1.0とかで示されるけど、こちらは分子が6の分数、それを少数に直すと結局日本の視力と同じ換算ができる)

 

診察を終えて

行って、よかった。こどもがサインを出してくれていて、よかった。そして自分の勉強にもなってよかった。目の仕組みとか、視力が弱い仕組みとか、すこーしだけわかったから(中学校の時の知識は、やはり記憶のかなた)

テレビとかゲームとかのやりすぎで視力が悪くなる、というのはよく言われるけど、それ以外にも本人や家庭環境のせいではなく視力が悪い場合がある、ということもしれて、眼鏡やコンタクトレンズをかけている人への意識がかわった。

この世界を見るために大事な大事な目、長ーく使えるように、大切にしたいものです。

 

Zoomでお葬式に参加した話

やはり、人生はいつか終わりを迎える

 

最近人生はいつか終わる、ということを強く意識するようになっていたのですが、

身近な人の人生が終わってしまいました。

もう一週間も経ってしまったのが信じられないけど、日本の母方の祖母が永い生涯を終えました。

自分の記録として、書いておこうと思います。

 

祖母の死

数週間前から、食欲が落ちたという話は聞いていたし、歳も歳なので元気になる、とは思ってはいなかったけど、ある朝突然連絡が入り、昨晩から祖母の調子が悪いと。

ひと月ほど前に入居した施設は、基本的にコロナ対策でお見舞いなどもできなかったのだけれど、もう死が迫っているだろうということで、家族も立ち入りが許可されました。

最期になるかもしれないから電話をかけてあげてほしい、と言われ、動揺しながらすぐにLINEでビデオコールをしました。

なんて声をかけていいのかわからず、おばあちゃんは自分の今の状況をどう感じているんだろう、私が変なこといって死期を縮めたらどうしよう、などと一瞬躊躇したのですが、子供時代に楽しい思い出を作ってもらって感謝している、ということを伝えました。泣きたくなかったけれど、泣いてしまった。

ここ数週間、最期の別れになるときに、相手にどんな言葉をかけたらいいんだろう、と考えていたんですが(特に祖母の死を予想していたわけではないけれど)、ほんの少しだけ準備ができていたような、でもうまく伝えられなかったような。

でも結局、それが最期になりました。

その夜遅く、日をまたいでから、父から祖母が亡くなったと連絡が入りました。

 

亡くなった当日は、家族もばたばたしているだろうということで、夜までなるべく連絡は控えていました。というのも、夜Zoomで家族会議を開くことになっていたから。

祖母が亡くなる数時間前、何十年かぶりで家族全員がZoom上で集合し、今の状況を説明してもらい、じゃあ明日も様子をお知らせします、と会議することになっていたのです。

まさか2回目で亡くなった後の話になるとは思っていなかったけれど…。

その夜のZoom会議では、お通夜、お葬式などをどうするかの説明が父からありました。

我が家は、亡くなった当日夜の仮通夜で祖母の生家の親戚筋などがお別れをし、通夜と葬儀は家族葬にして、私の家族と伯母家族だけが参加する、ということになりました。

あまりにも人が少なくて寂しいのでは、と私たち兄弟は一瞬思ったのですが、祖母の歳では友人などもほとんどが先に逝ってしまったといわれ、確かに、と納得するしかありませんでした。

また、逆に本当の家族だけが参加する、ということで、実家の近くにいない私たち他の兄弟も、遠い親戚たちに気兼ねすることなく、Zoomで一連の行事に参加する、ということも叶いました。

コロナの影響もありこのような形になりましたが、今できる精一杯の形で祖母を送り出せたのではないか、と思います。(私はただ参加しただけで、指揮を執ってくれた実家の家族と姉夫婦の尽力のおかげです。)

 

Zoomで葬儀に参加することの利点・難点 

では箇条書き(といいながら説明つき)で、Zoomで葬儀参加の利点、難点を。

 

利点

・葬儀に参加できた

(コロナの影響で、日本に入国して2週間は隔離のため、移動していたら逆に間に合わなかった。さらにシンガポールへの再入国時も2週間隔離あり。日本国内でも、移動がためらわれる時期だし。)

・見送る家族の状況を知れ、精神的サポートの役割ができる

 (父と母は長年祖母の介護をしていたので、突然の喪失による精神的ショックが気になっていた。精神的にサポートできたとは思わないけれど…)

・葬儀を執り行うばたばたの中で、実家の家族に帰省に関する余計な気遣いをさせなくて済んだ

(飛行機、電車の到着迎え、ホテル滞在など)

・公共交通機関を使用せずに済んだ

(コロナで外出を控えたほうがいい、という意味もあるし、どこでもかまわず泣いてしまう質なので恥ずかしい思いをしなくて済んだ。また、当然移動にかかるはずだった費用も抑えられた)

・外国人の主人や子どもに、解説しながら見送ることができた

(ミュート機能を使用)

・じっとしていられない子どものせいで迷惑をかける、ということがなかった

(ミュートや画面オフを使ったり、別の部屋で遊ばせていたりした)

・都合の悪いときに、画面オフにすることができる

(こういう神妙な場面に限って、お経の一部が面白く感じられたり、お坊さんが誰かに似ているとか、笑いの種が転がっていて、特に私と兄は昔からそれをこらえることができない。また、トイレで中座、も歩いて数歩のところなのでありがたかった)

・喪服の用意がなくても、角度次第で相手方に気づかれなくて済む

(私はきちんとした喪服がなかったので、紺色の服を着ていたけれど、実際にその服を着て会場に出向いたらアウトだったと思います。角度次第で、首から上だけを移すことも可能かと。亡くなった人に失礼のない恰好でとはおもったのですが、おばあちゃん、あの服はセーフだったでしょうか。)

・家族全員そろって話し合える機会ができた

(それぞれあちらこちらに住んでいるので、家族全員集合は…13,4年まえの別の葬儀だったかも。時差などもあるので、ある程度の強制力とか理由がないと、Zoomが使えるこの時代でも、時間を合わせて話そう、ということにはなっていなかった。)

 

難点

・故人に触れたり、近くで声をかけることができなかった

・Zoom接続に関するドタバタを、葬儀会場にいる姉に頼んだので忙しくさせてしまった

・こまごまとした誰にでもできる雑用を引き受けられなかった

 

と、このような感じでしょうか。

 

このタイミングだから、こうできた

時折主人と話題にしていた、日本の家族が亡くなったらどうするか、という問題、世界でコロナウィルスの拡がるこのタイミングだったので、このような形がベストだったと思います。選択肢が限られていたことが、なかなか決断できない私にとってはありがたいことでもありました。

ただ、これが自分の実父、実母のだったとしたら…。割り切れていなかったと思います。

 

祖母は老衰ということもあり、またコロナが落ち着いている地域だったということもあって、普段の葬儀とほぼ変わらない形で見送ってもらうことができました。

このような状況下で、生前最期に顔を見てお別れの言葉を言えたのは、家族にとっても本当にありがたく、幸せなことでした。

 

でも、今現在、そうではない別れ方をしなければならない人もたくさんいるということ、本当に心が締め付けられる思いです。

 

今回再認識したこと

 

今回のことで、日ごろから、人はいつか死に別れなければならないということを忘れずに人と接したい、と改めて思わされました。伝えておきたいことは、伝える。(が、なかなかできないけれど。)

また、自分や配偶者が死んだときの準備をしておく。書類管理は不得手、お金の管理もできていませんが、私がわかっていなかったら家族が余計困るので(特に国際結婚なんて、考えただけで恐ろしいのですが)。あとの人に任す、じゃなくて、このファイルを見たら全部わかるから、と言えるようにしておきたいです。

そう、今年の新年の抱負は、「いつ死んでもいいようにする」だった。それはずっと覚えているのだ…。先日保険の書類少し整理しただけで終わったけど、12月までには!

我が家のおもちゃルールと、買ってよかったおもちゃ

引越から半年、物はどうなっている?

去年の12月ごろから徐々に引っ越しして、住み始めてもう半年。

引越に伴ってものが減らせたかどうかは、ちょっと微妙、というか、まだまだ日々減らし続けているけれど、

家に入れるもの、外に出すものに関してのルールみたいなものがなんとなく出来上がってきています。

今回は子どものおもちゃについて。

 

持っていたおもちゃ

同居していた時、とにかく車や電車のおもちゃが多かった。そして種類の違うものが多かった。

お菓子についてくる小さいおもちゃとかもたくさん。

おばあちゃんが、親(私たち)は教育的な本とかおもちゃとかしか買わないから、と可哀相に思っていろいろことあるごとに買ってくれて…。いや、私も自分がおばあちゃんになったらそうなるかもとは思う。喜ぶ顔を見たいもの。

しかしそういうの、収納の仕方に悩む。

私たちの部屋に収まる分は自分の思うような種類分け収納とかしてたけど、

部屋に収まらない分は大きい箱にジャーっといれて、下の方に隠れたおもちゃは見えないという。それでなかなか遊ばなくなって、本当に買って当日遊んだだけでほったらかし、とかもあって、もったいないやら、ものの大切さを教えたいのにな、と思うやら…。

 

おもちゃルール、1

引越に際して、新居に持ってきたのは、ほとんどが「箱に入っているセットのおもちゃ」。

パズルのセット、電子回路をつなげるキット、モノポリー、レゴ一式(これは袋にいれてるけど)、などなど。

お菓子のおまけでついてきたちっちゃいキーホルダーみたいなもの、ランダムに買った車など、極力おばあちゃんの家に置いたまま(おばあちゃんの家にもたびたび行くから)。

これは、引っ越しの時にまとめやすいから、という理由もあったけど、やはり私たち夫婦が選んで買った、とか譲り受けたおもちゃ、がもともとそういうものだった、ということでしょう。

 

 

おもちゃルール、2

新居でより厳格になったもう一つのおもちゃルールは、「遊ぶおもちゃを混ぜない」。

他のおもちゃであそびたくなったら、今のおもちゃを片付ける、ということ。

これは主人が厳しく言うことなんだけど、ずぼらな私は結構(目を離してたりするので)いろいろなおもちゃをミックスしてても注意しないので、そういう時に主人に見つかると子どもが注意される。

私はいろいろなおもちゃを混ぜると新しい遊び方ができるからちょっと位いいんじゃないかな、と思うのだけれど、一つずつきちっと片付ける習慣をつけさせたい、というのが夫の思いのようで。

ここ2,3か月、特に自粛で24時間家族一緒にいたので、そういうのが目についたのでしょう。

 

こどもの反応

こういうことが関係しているのかもしれないけど、引っ越し当初、長男は結構「新しいおうち嫌」ということもあったりして。

今まで一緒に住んでいたおじいちゃんおばあちゃんたちがいない寂しさもあったのだろうけど、ある時「なんで嫌なの?」と聞いてみたら、「おもちゃないもん」だって…。

(嫌な意味でなく、他に語彙が見つからないからだけど、)ごちゃごちゃしたおもちゃが好きなんだろうな。そしてそういうちょっとずつ違うおもちゃを組み合わせて遊びを創造していくのが楽しいんだろうな。

今はおばあちゃんの家ではこのおもちゃで、新居ではこのおもちゃで、と切り替えができているみたい。

 

特に今だから!おすすめできるおもちゃ

さて、春生まれの長男に、倹約家の主人もなにかプレゼントを買ってあげたいと思っていたようで、ちょっと高額なものを買うかどうか、非常に悩んで店舗間の価格比較などしていたものがあります。

それがこちら

 

 なぜ主人がこれを欲しがったかというと、コーディングの練習ができるからだそうで。

結局店舗比較しても同じ値段だったので、えいやっと購入したわけなんですが、

レゴ好きの長男には大当たりで、次の日から早速取り掛かっておりました。

 

で、これの何がよかったかというと、こちら、このロボットちゃんだけじゃなくて、他にも4つ(猫ちゃんとか、ギターとか)の形が作れて、アプリをダウンロードするとロボットが動かせてしまうのです。すごい、未来だわ…

そして作るのに結構時間がかかるもんだから、自粛中、外に行けない時の時間稼ぎに非常に役立った。作り方の説明もアプリなので、あんまりスマホ画面を見せたくなくて1日1時間とかにしていたのですが、一つ作るのに3,4日かかったりして。

さらに出来上がってから実際に話したり動いたりしてくれるので、それも面白くて。

長ーく遊べるおもちゃかな、と思います。

 

ただ、こちらの注意点は、(まあどんなおもちゃもかもしれないけど)

スマホを触るのを許されている長男をみて、次男も「僕も」とスマホの奪い合いになること。

次男の気をそらすため、別の部屋でお母さんとあそぼ―といって誘い出しに成功したりもしたけど、これも5歳の長男には少し難しいところもあってすぐに「おかーさん、わからない」とお呼びがかかったりして…

行ったり来たり、なかなか大変だったけど、私もこういうパズルとかレゴみたいなのは好きなので、一緒に遊べたりしました。

子どもがもう遊んでくれなくなったら、私が遊んでやろう。

人生に覚悟をもとうと思った2020年

想像していなかった今

長らく放置してしまったブログ…でも急に書きたい欲が戻ってきたここ数日、今夜は子どもが早く寝てくれた!いいこだぞ!

 

さて2020年、まさか年頭は今世界がこうなっているなんて想像だにしていませんでしたが、現実は、一歩外に出るためにはマスクが必須、という状況です。(シンガポールは現在、ジョギングなどの理由以外はマスクなしでの外出は罰金)

来週から再開するこどもの学校では、マスク(現在までに、国から一人2枚支給されました)か、フェイスシールド(寄付があって学校でもらえることになっている)の着用が義務付けられるとのこと。

前の世代の責任ではないけれど、環境問題など、子どもに申し訳ないと思うことばかり…。

 

いつ人生が終わっても、満足できるか

さて、コロナのことや、母親が春先かなり体調を崩していたこと、またそれに伴って母親が介護をしていた祖母が施設に入居することになったことなど、ここ数か月、「人生が終わる時」について考えずにはいられませんでした。自分自身の、そして自分にとって大切な人が人生を終える時、私は後悔しないだろうかと。

 

自分の人生が明日終わっても後悔しないように

私はおかげさまで、大学時代にしたいと思っていたことを今仕事にできています。

結婚できないかも、と思っていたけど、縁あって主人に出会い、子どもも2人もできました。

同居していたころはいろいろとストレスもありましたが、新居に移って自分たちだけで自分たちの思うように生活できるようになり、ストレスも減りました。

はっきりいって幸せです。そして、子どもを残す、という生物としての役割を終えた気がして、いつ死んでも後悔しないかな、と思っていました。

ただ、残される家族はどうだろう。

お母さんがいなくなったら、妻がいなくなったら。

主人はあまり困らないかも。ちょっと鬱陶しがられているし(汗)、きちんと派の彼にはずぼらな私の家事はストレスだろうし、食事も義母やホーカーがあるし、洗濯もできるし(ていうか今80%してくれてるし)。常日頃昔の友人と山登りして温泉行く老後過ごしたいって言ってるし。

子どもはどうだろう。毎日お母さん大好きってキスしまくる次男、さすがにそこまでじゃないけど、夜寝るときに引っ付いてくる長男。やっぱりさみしいだろうなぁ。

でも、来るときは来る。いつかはわからない。明日かもしれない。

だから、今、私にとって3人がとても大切で、一緒にいられてとても嬉しくて、大好きだということを、鬱陶しがられても伝えておかないといけないな、と思う。彼らのためじゃなくて、私のためだろうな。

 

もっと彼らのためにできること、残せること、あると思うから、できる限りのことをしたい。

…と日々思うのだが、夜主人がふと起きて背中もんでーとか足もんでーといってくると、適当にあしらってしまうのである。寝かしつけに1時間かかってこちらはへとへとなんである!

 

パートナーが安心して旅立てるように

と、自分が死ぬときのことは今まで折に触れて考えていた。

でも、考えてみると主人は私より5歳年上だし、コロナのことがあって人間本当に明日いなくなる可能性もあるよなと再認識して、主人が先に逝ってしまったらどうしよう、と突然考え始めた。 逝ってしまった相手にはもう何もできないから、それまでに尽くすとして、残された時どうしようかと。

 

子どもを育てないといけない。どの国で?お金を稼がないといけない。どうやって?子供が巣立った後一人で生活することも考えなければならない。どこで?どうやって?

 

国際結婚するなら最初に考えとけよ!と思われそうだけど、今まではいつか考えないとなーと思っていたのが、今考えないといけないんだな、に変わってきた。

 

主人がお気楽な私を見てため息をついているのは、ついつい怒ってしまうのは、たぶんそういう覚悟が全然できてないってことを分かっているからだろう。心配なんだろう。

主人がいなくなった時に家族が困らないように、安心して主人が旅立てるように、まず思ったのは経済面の補強をしないとな、ということ。今は私はパートだけど、様々な理由でその仕事がなくなるかもしれない。今の対象とは少しずらしたところで、経済的に安定できるようにしないとな、と。

それから、男子2人は母を置いてどこにでも飛んでくだろうから、自分の仲間、居場所づくり。私が今仲良くさせてもらってるのは、日本に帰る人がほとんど。ローカルの友だちも数えるほど。義家族との関係は、最悪ではないけど、気を遣う関係。自分で意識して関係を作っていかないとな、と。老後動けなくなったらどうしようかしら。介護は何語でされるのだろう。私の頭はついていけるだろうか。

 

親としての覚悟ができてなかったな。国際結婚の覚悟もまだまだだったな。

 

鍵をもらいに行った日のこと(後編)

初めて新居に入ってみた!

 

前回の続きです。hikkosuherasu.hatenablog.com

 

さて、炎天下の移動を経て、やっとたどり着いた新居。
ドアの前まで来たことはあるものの、中に入るのは初めてです。
先ほど貰ってきた鍵を取り出し、ここはやはり一家の主から、と主人に鍵を渡したものの、「え~別にいいよ」とあまり乗り気でない様子。
それでもそのまま渡して、記念撮影(一応笑顔で記念撮影に応じる主人)。
しかし、シンガポールHDBは2重ドア、一つ目のmetal gateの後、もう一つのWooden Doorを開けないと中には入れないのです。
その重要な?Wooden Doorは私が開けることになり、これまた記念撮影。
ドキドキしながら開けると…

新居に入ってみた感想

おおー!ピカピカ!
新居だから当たり前なのですが、何がピカピカって床のタイルが想像以上にピカピカでした。今住んでいるうちのタイルと違った感じで、予想外。
リビングも、今いるうちよりは狭いのですが、想像していたよりは広くてうれしい!
キッチンは、なーんにもなくて、しかもあらっ?狭い⁉ が第一印象でしたが、洗濯機置き場へ続く動線も悪くなく、新しいスタイルの物干しも新鮮でなかなかよし。
ベッドルームも、フローリングなのか?木の感じでなかなかよし。
ただし、マスターベッドルームは…狭い。この部屋にはマットレスとクローゼットを置く予定ですが、クローゼットをどこに置いたもんかとても困るぐらいの狭さ。


(ちなみに私たちはOptionでタイル、部屋の床、ドア、も工事してつけてもらっていたのですが、大幅にリノベーションする予定の入居者はオプションをつけずにコンクリート打ちっぱなしの状態でもらうみたい。)

興味がある人は、HDBHubにあるショールーム(My nice home gallery)で実物を見ることもできるし、onlineでも↓

My Nice Home Gallery

本日の目的、Defects Check

さて、今日の目的は、もちろん部屋を見ることもですが、
BTOは鍵をもらって一週間以内にDefects Check Listというものを提出しなければなりません。

Defects Checkというのは、渡された家に不備がないか調べるというもの。

これは自分でチェックしてもいいのですが、我々はプロに任せた方がいいのでは、ということで、500ドルほど払ってプロにお願いしました。
そのDefects Checkの人がその日来てくれることになっていたのです。


時間通りに来てくれたのは、結構若い目のお兄ちゃん。

大丈夫かいな、と思っていましたが(ごめん!)私たちがいろいろ見ている間にありとあらゆるところをしっかりチェックしてくれて、1時間半ほどだったか後に、「チェック終わったので一緒に確認してください」と案内されました。
細かい点、結構大きい点などいろいろ合わせて、70か所ほどリストに書き出してくれました。

  • 窓ガラスの傷
  • 壁のひび割れ
  • タイルの欠け
  • ドアなどの傾き
  • スイッチの傾き、押しにくさ
  • 壁と床の間の隙間

などなど、素人の私たちでは絶対に気が付かなかったであろうところをたーくさん見つけてくれていました。
それも、かわいい字で全てチェックリストに書き込んでくれていたので、あとは私たちがその紙を事務所に持っていくだけ。

お兄ちゃん、扇風機も何もない暑い部屋で頑張ってくれてありがとう!
なお、事務所のお姉さんはは、「わぁ、70か所…私これからパソコンに一つずつ打ち込まないといけないのよね…」と若干恨めし気でしたが、まあ、そこをなんとかお願いします。
この後、HDB側の人と一緒にもう一度このリストのところを現場検証、そして手直しの工事が入ってから、HDB側の人と最終確認が行われる予定です。
私たちの場合は、チェックリストを渡してから2週間ほどで補修工事が終わったのでいつでも確認に来てください、と連絡がありました。

 

初めての訪問で持って行くとよいもの

さて、なーんにもない部屋を下見に行くのに、持って行った方がよいものは。

  • 部屋の鍵(ないと入れない!)
  • ダイヤル式ロック(部屋の鍵は今後入れ替わり立ち代わり出入りする業者の人にコピーされるとまずいので、簡易のロックを使用するとのこと)
  • トイレットペーパー(上記のお兄さんに水道管を開けてもらい、初日から水は使えました)
  • ウェットティッシュ(そこら中埃っぽい)
  • スリッパ(土足で歩き回ってもいいけれど)
  • ごみ袋(ドアの隙間から、チラシとかいろいろ入っていました)
  • 飲み物(喉が渇いても、近くに自動販売機はないし、水道の水も飲めるか怪しい)
  • ドアストッパー(エアコンも何もないので、窓を開け放して入り口ドアも開けておくと風が通る)
  • ペン(メモ用)
  • マスキングテープ(家具の配置とか考えるのに)
  • 部屋の見取り図
  • メジャー(見取り図にかかれていない様々な箇所のサイズを測り、記入)
  • スマホ(部屋の写真・ビデオ撮影)

部屋のビデオ撮影はしておいてよかったです。なぜなら新居が気になるお義父さん、お義母さんに後で様子を見せられるから。

帰宅してからバタバタしていてすぐには見せられなかったのですが、明らかに気になっていた様子でちょっとイライラしていたので、あ、やばいと思ってお見せしました。

やっと中が見られて安心した様子。

 

というわけで、やっとご対面できた新居。住みやすい部屋づくりができたらいいなぁ。

鍵をもらいに行った日のこと(前編)

やっと家に入れます!

突然来た家の鍵を取りに来てね(主人の方にNotice to collect keys to Booked Flat というタイトルでメールが来ました)のお知らせ。
申し込みの際だったかに大体の鍵の受取期間を知らされていたのですが、

それよりはひと月ほど早かったので、心の準備ができていたような、ちょっとびっくりしたような。


メールの受信日から、約一週間後に来るようにと指定されていたのですが、

都合がよくなかったためオンラインでひと月ほど日をずらして再予約。

(丁度いろいろ立て込んでいる時期でした)

 

当日はどんな感じだった?

鍵はToa Payoh駅直結のHDBHubでもらってきました。
当日、10:30からの予約で、10:20頃について番号札を取って待っていたら、大体10:30頃に呼ばれました。
そこからはIDなどの確認、書類へのサイン、支払方法の決定、サイン、サイン、サイン…という感じで、一時間ほど後にようやく鍵を受け取り終了、となりました。
本当にただ鍵をもらうだけじゃなかったのね^^;15分ぐらいで済むものかと思ってたわ…

 

支払い方法は、銀行ローンやHDBローンなどいろいろあるのですが、HDBローンをCPF(天引きされている年金みたいなもの)から振り込んでいく+毎月の管理費を(これもCPFからだったかな?)から振り込んでいく、ということで落ち着きました。


この際にシステムに数字を入力しないといけないんですが、何か数字を調整しておりましたがもうチンプンカンプンだったので係の方と主人に丸投げしておりました。ここで時間がかかっていたので、スムーズにいった場合は1時間もかからないかと思います。

 

貰ってきたもの

鍵は玄関、各部屋など、コピー合わせて3つずつもらってきました。
担当してくれたマレーのおば様は、鍵の受け渡しの時に「あなたら記念写真撮る?撮ってあげようか?」とオファーまでしてくれました。私たちは結局撮りませんでしたが、おば様とも記念写真撮りたい、と言ってくる人たちもいるそうな笑

さらに書類保管用のファイル、持ち帰り用にHDBバッグ、鍵のキーホルダー二つまでつけてもらいました。

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HDB Bag & Key chain

あとは、もちろん家の権利書!Title Deedという言葉が頻繁に出てきて、なんとなく意味を予想していましたが、あっていました^^ 大事に保管しなければ。

他にTipsみたいなものも何枚かありましたが、保管の必要の有無を判断して選別しておきました。

 

新居へ向かう

その後、近くで昼食をとってから新居に移動しました。

ちなみに、鍵をもらって家に入るのはこの日が初めてだったのですが、
主人も私も、ひと月前には家に入れる状態になっていたので、様子を見に行こうと、玄関の前までは行っていたことがあり(家の中にはもちろん入れない)、近くのバス停からはほぼ迷うことなく新居までたどり着きました。


ちょうど真昼の移動で炎天下、移動中の暑さに引っ越し後こども連れて歩けるかな…と一抹の不安を感じはしましたが、どうにかするしかない。

願わくば、もう少し近くにあるバス停のバスの本数が増えますように!

 

後編に続く。