HIKKOSUHERASU

国際同居からのお引越し〰

Zoomでお葬式に参加した話

やはり、人生はいつか終わりを迎える

 

最近人生はいつか終わる、ということを強く意識するようになっていたのですが、

身近な人の人生が終わってしまいました。

もう一週間も経ってしまったのが信じられないけど、日本の母方の祖母が永い生涯を終えました。

自分の記録として、書いておこうと思います。

 

祖母の死

数週間前から、食欲が落ちたという話は聞いていたし、歳も歳なので元気になる、とは思ってはいなかったけど、ある朝突然連絡が入り、昨晩から祖母の調子が悪いと。

ひと月ほど前に入居した施設は、基本的にコロナ対策でお見舞いなどもできなかったのだけれど、もう死が迫っているだろうということで、家族も立ち入りが許可されました。

最期になるかもしれないから電話をかけてあげてほしい、と言われ、動揺しながらすぐにLINEでビデオコールをしました。

なんて声をかけていいのかわからず、おばあちゃんは自分の今の状況をどう感じているんだろう、私が変なこといって死期を縮めたらどうしよう、などと一瞬躊躇したのですが、子供時代に楽しい思い出を作ってもらって感謝している、ということを伝えました。泣きたくなかったけれど、泣いてしまった。

ここ数週間、最期の別れになるときに、相手にどんな言葉をかけたらいいんだろう、と考えていたんですが(特に祖母の死を予想していたわけではないけれど)、ほんの少しだけ準備ができていたような、でもうまく伝えられなかったような。

でも結局、それが最期になりました。

その夜遅く、日をまたいでから、父から祖母が亡くなったと連絡が入りました。

 

亡くなった当日は、家族もばたばたしているだろうということで、夜までなるべく連絡は控えていました。というのも、夜Zoomで家族会議を開くことになっていたから。

祖母が亡くなる数時間前、何十年かぶりで家族全員がZoom上で集合し、今の状況を説明してもらい、じゃあ明日も様子をお知らせします、と会議することになっていたのです。

まさか2回目で亡くなった後の話になるとは思っていなかったけれど…。

その夜のZoom会議では、お通夜、お葬式などをどうするかの説明が父からありました。

我が家は、亡くなった当日夜の仮通夜で祖母の生家の親戚筋などがお別れをし、通夜と葬儀は家族葬にして、私の家族と伯母家族だけが参加する、ということになりました。

あまりにも人が少なくて寂しいのでは、と私たち兄弟は一瞬思ったのですが、祖母の歳では友人などもほとんどが先に逝ってしまったといわれ、確かに、と納得するしかありませんでした。

また、逆に本当の家族だけが参加する、ということで、実家の近くにいない私たち他の兄弟も、遠い親戚たちに気兼ねすることなく、Zoomで一連の行事に参加する、ということも叶いました。

コロナの影響もありこのような形になりましたが、今できる精一杯の形で祖母を送り出せたのではないか、と思います。(私はただ参加しただけで、指揮を執ってくれた実家の家族と姉夫婦の尽力のおかげです。)

 

Zoomで葬儀に参加することの利点・難点 

では箇条書き(といいながら説明つき)で、Zoomで葬儀参加の利点、難点を。

 

利点

・葬儀に参加できた

(コロナの影響で、日本に入国して2週間は隔離のため、移動していたら逆に間に合わなかった。さらにシンガポールへの再入国時も2週間隔離あり。日本国内でも、移動がためらわれる時期だし。)

・見送る家族の状況を知れ、精神的サポートの役割ができる

 (父と母は長年祖母の介護をしていたので、突然の喪失による精神的ショックが気になっていた。精神的にサポートできたとは思わないけれど…)

・葬儀を執り行うばたばたの中で、実家の家族に帰省に関する余計な気遣いをさせなくて済んだ

(飛行機、電車の到着迎え、ホテル滞在など)

・公共交通機関を使用せずに済んだ

(コロナで外出を控えたほうがいい、という意味もあるし、どこでもかまわず泣いてしまう質なので恥ずかしい思いをしなくて済んだ。また、当然移動にかかるはずだった費用も抑えられた)

・外国人の主人や子どもに、解説しながら見送ることができた

(ミュート機能を使用)

・じっとしていられない子どものせいで迷惑をかける、ということがなかった

(ミュートや画面オフを使ったり、別の部屋で遊ばせていたりした)

・都合の悪いときに、画面オフにすることができる

(こういう神妙な場面に限って、お経の一部が面白く感じられたり、お坊さんが誰かに似ているとか、笑いの種が転がっていて、特に私と兄は昔からそれをこらえることができない。また、トイレで中座、も歩いて数歩のところなのでありがたかった)

・喪服の用意がなくても、角度次第で相手方に気づかれなくて済む

(私はきちんとした喪服がなかったので、紺色の服を着ていたけれど、実際にその服を着て会場に出向いたらアウトだったと思います。角度次第で、首から上だけを移すことも可能かと。亡くなった人に失礼のない恰好でとはおもったのですが、おばあちゃん、あの服はセーフだったでしょうか。)

・家族全員そろって話し合える機会ができた

(それぞれあちらこちらに住んでいるので、家族全員集合は…13,4年まえの別の葬儀だったかも。時差などもあるので、ある程度の強制力とか理由がないと、Zoomが使えるこの時代でも、時間を合わせて話そう、ということにはなっていなかった。)

 

難点

・故人に触れたり、近くで声をかけることができなかった

・Zoom接続に関するドタバタを、葬儀会場にいる姉に頼んだので忙しくさせてしまった

・こまごまとした誰にでもできる雑用を引き受けられなかった

 

と、このような感じでしょうか。

 

このタイミングだから、こうできた

時折主人と話題にしていた、日本の家族が亡くなったらどうするか、という問題、世界でコロナウィルスの拡がるこのタイミングだったので、このような形がベストだったと思います。選択肢が限られていたことが、なかなか決断できない私にとってはありがたいことでもありました。

ただ、これが自分の実父、実母のだったとしたら…。割り切れていなかったと思います。

 

祖母は老衰ということもあり、またコロナが落ち着いている地域だったということもあって、普段の葬儀とほぼ変わらない形で見送ってもらうことができました。

このような状況下で、生前最期に顔を見てお別れの言葉を言えたのは、家族にとっても本当にありがたく、幸せなことでした。

 

でも、今現在、そうではない別れ方をしなければならない人もたくさんいるということ、本当に心が締め付けられる思いです。

 

今回再認識したこと

 

今回のことで、日ごろから、人はいつか死に別れなければならないということを忘れずに人と接したい、と改めて思わされました。伝えておきたいことは、伝える。(が、なかなかできないけれど。)

また、自分や配偶者が死んだときの準備をしておく。書類管理は不得手、お金の管理もできていませんが、私がわかっていなかったら家族が余計困るので(特に国際結婚なんて、考えただけで恐ろしいのですが)。あとの人に任す、じゃなくて、このファイルを見たら全部わかるから、と言えるようにしておきたいです。

そう、今年の新年の抱負は、「いつ死んでもいいようにする」だった。それはずっと覚えているのだ…。先日保険の書類少し整理しただけで終わったけど、12月までには!