HIKKOSUHERASU

国際同居からのお引越し〰

人生に覚悟をもとうと思った2020年

想像していなかった今

長らく放置してしまったブログ…でも急に書きたい欲が戻ってきたここ数日、今夜は子どもが早く寝てくれた!いいこだぞ!

 

さて2020年、まさか年頭は今世界がこうなっているなんて想像だにしていませんでしたが、現実は、一歩外に出るためにはマスクが必須、という状況です。(シンガポールは現在、ジョギングなどの理由以外はマスクなしでの外出は罰金)

来週から再開するこどもの学校では、マスク(現在までに、国から一人2枚支給されました)か、フェイスシールド(寄付があって学校でもらえることになっている)の着用が義務付けられるとのこと。

前の世代の責任ではないけれど、環境問題など、子どもに申し訳ないと思うことばかり…。

 

いつ人生が終わっても、満足できるか

さて、コロナのことや、母親が春先かなり体調を崩していたこと、またそれに伴って母親が介護をしていた祖母が施設に入居することになったことなど、ここ数か月、「人生が終わる時」について考えずにはいられませんでした。自分自身の、そして自分にとって大切な人が人生を終える時、私は後悔しないだろうかと。

 

自分の人生が明日終わっても後悔しないように

私はおかげさまで、大学時代にしたいと思っていたことを今仕事にできています。

結婚できないかも、と思っていたけど、縁あって主人に出会い、子どもも2人もできました。

同居していたころはいろいろとストレスもありましたが、新居に移って自分たちだけで自分たちの思うように生活できるようになり、ストレスも減りました。

はっきりいって幸せです。そして、子どもを残す、という生物としての役割を終えた気がして、いつ死んでも後悔しないかな、と思っていました。

ただ、残される家族はどうだろう。

お母さんがいなくなったら、妻がいなくなったら。

主人はあまり困らないかも。ちょっと鬱陶しがられているし(汗)、きちんと派の彼にはずぼらな私の家事はストレスだろうし、食事も義母やホーカーがあるし、洗濯もできるし(ていうか今80%してくれてるし)。常日頃昔の友人と山登りして温泉行く老後過ごしたいって言ってるし。

子どもはどうだろう。毎日お母さん大好きってキスしまくる次男、さすがにそこまでじゃないけど、夜寝るときに引っ付いてくる長男。やっぱりさみしいだろうなぁ。

でも、来るときは来る。いつかはわからない。明日かもしれない。

だから、今、私にとって3人がとても大切で、一緒にいられてとても嬉しくて、大好きだということを、鬱陶しがられても伝えておかないといけないな、と思う。彼らのためじゃなくて、私のためだろうな。

 

もっと彼らのためにできること、残せること、あると思うから、できる限りのことをしたい。

…と日々思うのだが、夜主人がふと起きて背中もんでーとか足もんでーといってくると、適当にあしらってしまうのである。寝かしつけに1時間かかってこちらはへとへとなんである!

 

パートナーが安心して旅立てるように

と、自分が死ぬときのことは今まで折に触れて考えていた。

でも、考えてみると主人は私より5歳年上だし、コロナのことがあって人間本当に明日いなくなる可能性もあるよなと再認識して、主人が先に逝ってしまったらどうしよう、と突然考え始めた。 逝ってしまった相手にはもう何もできないから、それまでに尽くすとして、残された時どうしようかと。

 

子どもを育てないといけない。どの国で?お金を稼がないといけない。どうやって?子供が巣立った後一人で生活することも考えなければならない。どこで?どうやって?

 

国際結婚するなら最初に考えとけよ!と思われそうだけど、今まではいつか考えないとなーと思っていたのが、今考えないといけないんだな、に変わってきた。

 

主人がお気楽な私を見てため息をついているのは、ついつい怒ってしまうのは、たぶんそういう覚悟が全然できてないってことを分かっているからだろう。心配なんだろう。

主人がいなくなった時に家族が困らないように、安心して主人が旅立てるように、まず思ったのは経済面の補強をしないとな、ということ。今は私はパートだけど、様々な理由でその仕事がなくなるかもしれない。今の対象とは少しずらしたところで、経済的に安定できるようにしないとな、と。

それから、男子2人は母を置いてどこにでも飛んでくだろうから、自分の仲間、居場所づくり。私が今仲良くさせてもらってるのは、日本に帰る人がほとんど。ローカルの友だちも数えるほど。義家族との関係は、最悪ではないけど、気を遣う関係。自分で意識して関係を作っていかないとな、と。老後動けなくなったらどうしようかしら。介護は何語でされるのだろう。私の頭はついていけるだろうか。

 

親としての覚悟ができてなかったな。国際結婚の覚悟もまだまだだったな。